我孫子の創作和食レストラン

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期間 |2023年(提案)
所在地 |千葉県我孫子市
用途 |レストラン
規模 |RC造 地上1階 / 14階建
延床面積 |77.17㎡
 「多様な地域の人々と歴史をつなぐ暮しの住み処」

江戸時代、我孫子は江戸と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町として栄え、かつて街の人々と旅人をつなぐ場所だったと考えられます。その後は、数多くの文化人の活動の拠点や別荘地として「北の鎌倉」として栄えました。
1970年代以降は、交通の便・開発により東京都市圏のベッドタウンとして発展した街です。そこで、我孫子の歴史と文化を大切にして、地域に住み続ける人々と、移住し新たに住み続ける人々がつながる場所として、人が集まる<宿の食事処>のような場所を目指しました。

3つの素材をテーマにした材料選定

・藁・・・我孫子宿として栄えていたが、現存している当時の建物は我孫子宿脇本陣のみです。脇本陣は、1831年(天保2年)建築の茅葺屋根の建物であることから、茅葺屋根(草葺)の宿が並んでいたと考えられます。

・水・・・我孫子市は、北に利根川が流れ、南に手賀沼が面しており、水辺に挟まれた自然が豊かな街です。豊富な水資源を活かし、古くから農業や水産業が盛んに行われています。

・焼物・・・手賀沼のほとりは、かつて別荘地として多くの文人たちに親しまれていました。志賀直哉、武者小路実篤をはじめ、国際ジャーナリスト杉村楚人冠や、日本の西洋史学を確立させた村川堅固などの活動の場でもありました。白樺派や民芸運動にも関わりが深い、柳宗悦やバーナード・リーチなども我孫子で作陶に打ち込んでいた文化的な歴史があります。

土地の特性から導き出すデザイン

1)利根川と手賀沼に挟まれた高台の土地に位置する場所から、水の流れる方向と空間を構成する方向を揃える。
2)水の流れに直交した桟橋をかけるようなベンチや水の波紋のようなテーブルを配置。
3)高台の地形を表現した段々状の天井。